私が入社した頃は、土曜日は半ドンでした。
いまの人には何のことかわからないでしょうけど、昭和後期までは日本人のごく一般的なライフスタイルでした。
半ドンとは午前中のみ勤務、午後は半休、という意味です。
朝はいつも通り出社して仕事し、午後は街で食事して買い物や映画など好きなことをしてから帰宅、またはまっすぐ帰宅して好きなことをする。というのが土曜日の勤め人の1日でした。
そういえば、学校も同じでしたよね。
平成15年くらいまでは義務教育も半ドンだったので、そこまでの世代には雰囲気が通じやすいでしょう。
平日は頑張って遅くまで仕事していても、土曜日は自分のための時間が持てる。そんな感じでした。
これが案外、経済活動に大きく貢献し、日本の成長を押し上げていた可能性はあると思います。
その後、平成に入る前後あたりから、週休2日制が定着していきます。
アイワでもその時期に社内アンケートがありました。
土曜日を休業日とする場合、平日の勤務時間を9:00~17:00から9:00~17:45に変更することになるが、どちらを希望するか。
私は後者、すなわち週休2日制を希望しました。
だって、半日のために通勤するのって、けっこう無駄、ですよね。家が近い人はともかく、遠い人ほどそう感じていたと思います。
当時の東京の地価は右肩上がりの上昇を続けていて、アイワの給与水準では郊外でないと家を持つことなどできませんでしたので、私と同じ考えの社員が多かったと思います。
よって、アンケート結果も圧倒的多数で週休2日制が採択されることとなりました。
週休2日制実施後、上野本社の階段を降りていると、17:45に終礼のチャイム(例のキンコンカンコン♪ってやつですね)が鳴っていました。
半端な時間ではありましたが、すぐに定着し、さほどの混乱はなかったように思います。
当時私が所属していたサービス部は、そんなに遅くまで残業することはありませんでしたが、修理品を開腹中にチャイムが鳴っても、そのまま放り出して帰るというわけにはいかない(帰ってしまうと、どこまで手をつけていたか忘れてしまうかも知れないし、部品がなくなってしまうかも知れない)ので、修理が完了するか、何らかの目処がつくまでは残業していました。
ですので、45分延びてもあんまり変わった気がしない、それでいて土曜は休み、ということでなんか得した気分でした。
そして世の中もいつしか週休2日制が当たり前になっていきました。
めでたし。
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