国産初のカセットデッキは1968年4月発売のアイワTP-1009です。
TEAC A-20が国産初という誤った情報がインターネット上で散見されますが、それはアイワがソニーに吸収合併され消滅した2002年以降にティアックのwebページ(https://www.teac.co.jp/jp/contents/history-a-20)で誤った情報が発信されたことにより情報操作されたものです。
TEAC A-20は1968年5月10日にホテルニューオータニでの新製品発表会において試作機を展示し発表はされたものの、8月には近日発売のパンフレットを配布、はじめて新発売の広告が打たれたのはラジオ技術12月号でした。(詳しくはこちらの動画で解説しています。)
したがってアイワより8か月も遅く、まったくもって国産初ではありません。
アイワTP-1009は、1968年2月20日~25日に札幌市の北海道新聞社ビルにて開催された北海道オーディオフェアの会場にて動作を実演している様子が公開され、その後3月28日に新聞発表、4月に発売されました。(詳しくはこちらの写真をご覧ください。)
よって、日本で最初のカセットデッキがアイワTP-1009であることは明らかです。
それだけではなく、TEAC A-20が発売される12月までの間、アイワTP-1009はわが国における本格的なカセットデッキの第1号として、各地で開催されたステレオコンサートにおいてカセットの音の良さを聴衆に実際に聴かせることにより、カセットテープの持つ将来性を国民に知らしめるための唯一の先駆者としても活躍、カセットの発展に貢献しました。
ついでながら、TEACにとってはA-20、はじめてのカセット機器ということで開発に苦労して遅れに遅れたのだろうと思いますが、アイワにとってTP-1009は5機種目のカセット機器であり、3機種目のステレオカセットなのです。輸出向けには1965年から生産を開始し翌年には日本初のカセットレコーダーを発売していますので1968年の時点ではすでに4年目に入っています。
年季が違います。満を持しての本格的カセットデッキの製造でした。
したがってアイワのほうがより本格的なカセットデッキなのです。
さらにTP-1009発売後もティアックがA-20を発売する12月までの間にラジカセ・オートチェンジャー・格安テレコなど4機種を追加しています。つまり、TEACがA-20を発売した時点で、アイワのカセット製品は9機種を数える段階にありました。
この経験値の差がラジオ技術12月号紙上での測定結果にも表れていて、アイワのほうが安定走行しており、56年が経過したいまでも正常動作するという品質の差となって表れています。
この辺はぜひ動画でご確認いただければと思います。
以下にアイワTP-1009が発表された当時の新聞記事を証拠資料としてとして掲載いたします。
電波新聞は、電機業界の方々にはお馴染みの、最も電機業界に精通した業界紙です。
その電波新聞の記者が、わが国ではじめてのステレオカセットデッキ、アイワTP-1009を発売、と記しているのです。
だれがこれを覆すことができるものなのでしょうか。とくとご覧ください。
電波新聞 1968年3月28日 15面
アイワ ステレオカセットデッキ TP-1009を発売 記事部分切り抜き
アイワ 国産初のステレオカセットデッキ TP-1009を発売 記事全文
カセットステレオ・テープデッキ
アイワが二万円台で
ICカセットテレコも四月から
アイワ(池尻光夫社長)はかねてから国内販売の準備をすすめていたカセット・ステレオ・テープデッキTP-1009(現金正価二万九千八百円)とICを使ったコンパクト・カセット・テレコTP-726(同三万二千円)の二機種を四月から発売する。
カセット・ステレオ・テープ・デッキTP-1009はこの種のものではわが国ではじめて発売されるもの。音楽の録音、再生がステレオででき、手持ちのステレオアンプに接続すればホームステレオとして使える。またデザインも側面にウォールナットを使った卓上型オールプッシュボタン式のもので一時停止装置、三ケタのテープカウンター、ヘッドホンジャック付きなどの特徴を備えている。
カセットテレコのステレオタイプのものは高度な生産技術を要することと、レコ―デッドテープの普及が出遅れているためあまり発売されていないが、同社が昨年七月ステレオ・コンパクトカセットTP-1004(二万九千五百円)を発売していらい、日本コロムビア、クラウンなどから次々と売り出されているが、ステレオデッキタイプのものはTP-1009がはじめて。
ICカセットTP-726は携帯性にすぐれ、事務連絡事項記録用、対話の記録用などにその機能を発揮する。また録音・再生はリラクタンスマイクで録音・再生はクリスタルイヤホンで聞くほか、アンプに接続しても使える。また電源は四・五Vのアルカリマンガン電池(エバレディー製NO-523、市価八百円)を使っている。
おもな仕様はつぎのとおり。
【TP-1009】▽使用石数=一二トランジスター、三ダイオード▽周波数特性=五〇━一万㌟▽プリアンプ出力=一W▽チャンネルセパレーション=三〇db▽電源=一〇〇V▽外形寸法=横二八四×高さ八二×奥行き二五八㍉▽重量=四・一㌔。
【TP-726】▽使用石数=一IC、三トランジスター、五ダイオード▽巻き戻し時間=一二〇秒以内▽出力レベル=〇・五V▽電源=DC四・五V▽外形寸法=横一五〇×縦九二×厚さ三七㍉▽重量=八百㌘。
原文まま
ティアックの記事を見たい方へ
国産初を偽りTP-1009の偉業を貶(おとし)めたティアックのカセットデッキ A-20についてはさすがに当博物館では取り扱いたくないので、以下をご参照ください。
国産初デッキ アイワ TP-1009 / これが証拠だ! TEAC A-20は国産初なんかじゃない ②雑誌・カタログ調査編 参考資料の画像あり 国産初の証明 – 上行工房
あわせて以下もご覧いただくと理解が深まります。
源流カセットデッキ探訪記 完結編 国産初はこちらだ! AIWA TP-1009が国産初のステレオカセットデッキです! ③電波新聞調査編 参考資料の画像あり – 上行工房
なお、個人的にはティアックは好きなメーカーであり、情報操作をおこなった人物以外まで嫌いになる理由はないと考えております。同時期に発売されたナショナルのカセットデッキとは違い、きちんと性能が出るまで発売しなかった姿勢は評価しています。
コメント
最近aiwa(小文字)製品(PX557)を買って情報を集めているうちにこちらのサイトへ到着しました。日本語情報がないので海外向けの製品なのでしょうか?
それよりもガム電池の形状がソニーの物と違うのが気になりました。確か当時は各社色々な形状のガム電池作ってたような気がしますが、aiwa製は+-が同じ側にあるという。まだ売っているソニー製品向けのガム電池が流用できません。
そして専用充電器はなく、カセットプレーヤー本体が充電器を兼ねていて、今手に取ると不思議な製品です。専用充電器がないのはaiwaらしく価格を抑える工夫なのかな、と思った次第。
HS-PX557、アメリカとイギリスで販売されていたようで、eBayにはけっこう出品されていますね。
ガム電池は統一規格のようなものはありませんでしたね。
というより、電池の薄型化に成功したメーカーだけがポケットに入る薄型のヘッドホンステレオを作れる、という状況でしたので、同じメーカーでも世代ごとにより薄く大容量のガム電池に変わっていきました。
アイワは充電器は別売でした。ヘビーユーザーは充電器と複数の電池を使ってましたが、ライトユーザーは帰ったらACアダプタにつなげばこと足りていたと思います。
HS-PX557は、国内モデルHS-PX550の海外バージョンで基本的な性能はおなじです。充電バッテリーはPB-S5と,名称の頭文字PBが示すようにPb(鉛)蓄電池でこれは車のバッテリーと同じで、その1セルあたりの電圧は満充電時約2.2Vで終止電圧が約1.8Vとなり、実はこの終止電圧が乾電池2本直列に接続したときの電圧とほぼ同じになります。
これは大きな利点で、鉛蓄電池と乾電池2本のときの回路設計は全く同じにできることになります。もう一点は他社がNi-MHバッテリーで電源電圧約1.2Vに対して高い電圧なのでヘッドホン出力は歪みが少なく余裕のある音量となっています。
gucciさん、こんにちは。
電池の詳しい解説ありがとうございます!
そうでしたね。私も当時は電圧の高いアイワに優位性を感じていましたが、もうすっかり忘れてました。
PB-S5は最終型でかなり薄いですが、モーターの性能向上と相まってかなり満足のいく持続時間でしたね。
ワイシャツのポケットに入れても走れるくらい軽かったので、50cmくらいの短いイヤホンに変えて使ってました。
手元(胸元)で操作できるのでワイヤードリモコンもいらないですし。
初めて拝見しました。懐かしいですね。
元社員で、カセットデッキの開発をしており、ADMSの発明者です。輸出機のみだった、AD-3300が担当開発の一号機でもあり、アイワのドルビーCの一号機でもあり、アメリカで技術賞を取りました。またWデッキの一号機も手がけたことがきっかけとなり、複雑なWデッキの開発が多く回ってきました。安いコンポのWデッキでは、C-Mosの論理回路で周りを驚かせたこともありました。オーディオマニアでしたので、本当は高級機をやりたかったのですが、最後には他の機種を担当しながらもFF-70,90の開発を買って出て、回路、基板開発に携わり、納得できる製品となったことが、技術者としての喜びです。
当時はアイススケートの音楽を鳴らすのも、カセットデッキが使われており、そのためにクオーツロックやトランス出力などの改造なども関わることができました。
コメントいただいていることに気づくのが遅くなりました。
ADMS、便利でしたよね。TDKのカセット型消磁器を便利だと喜んで使っていましたが、その上を行ってました。
電源入れるだけというのは画期的でした。
それより、
Wikipediaなどでは日本初のドルビーC搭載機はAD-FF3/FF5とされていますが、輸出向けとはいえそれよりもAD-3300のほうが早かったのでしょうか。
だとしたら、それはぜひ世間に知ってもらいたいところです。
何か発売日や生産開始などがわかる証拠になるような資料などはお持ちでしょうか?
ミニコンポではWカセットが完全に主流でしたね。
ダビングにしてもプレーヤーやチューナーとのシンクロにしても実によく考えられていて、シンプル操作で使い勝手がよかったことがシェアを大きく取れた要因ではなかったかと思います。
すばらしい技術者がいたことがこの時期のアイワの好調を支えていたことは間違いありません。