アイワ博物館、オープン!

アイワ博物館について


ちばです。(一部ではお世話になりました。)

職域接種でモデルナワクチンの接種を受けましたが、ワクチン接種による副反応で高熱を出し、きょう、ようやく熱が下がってきたところです。

普段から風邪をひいて寒気がするな~、と思っても、測ってみるとあんまり熱が出ていないタイプなんですが、今回はすこーんと38℃2分まで上がりました。

・・・ちょうど20年前。

18年勤めたアイワ株式会社を退職した私をおたふく風邪が襲っていました。
当時小学生だった娘の学校で流行り、うちに持ち帰って移された格好です。
このときも、すこーんって8℃以上まで上がりました。

でも、あのときのほうがつらかったな~。

希望退職に応じる形で退職したので、平成大不況、失われた10年、狭義では第3次平成不況の真っただ中ではありましたが、退職金は割増してもらえましたし、少しゆっくりしようとは思っていました。いましたが、まさか高熱でゆっくりせざるを得ない状況になろうとは。幸先悪すぎる。
さらに言えば、退職4日後に一時停止不履行で張り込んでいた警察官に検挙されるなんて不幸も重なっておりました。

ほんと、ろくなことなかった平成13年=2001年です。

大人になってからのおたふくは生殖機能に障害が残ることもある、と言われています。

まぁ、その時点で子供は2人いましたし、増産する予定もなかったのでいいっちゃいいんですが、なんか、男としての能力が落ちたかも、というそこはかとない精神的な部分が、今後の再就職活動へのモチベーションに影響するのでは、という気がしていました。

実際、それまで電話帳みたいな分厚さだった就職雑誌は5mmにも満たないぺらぺらな状況になり、再就職活動は困難を極めました。
あ、ちなみに、現在のようにネットで就活、なんていう気軽な状況ではない時代です。
ネットってのは1995年のWindows95がきっかけで普及しはじめたものですし、活用の手段についても最初の数年はどこも手探りの状況でしたので、2001年時点ではまだまだ紙による転職情報のほうが主流でした。

私は最後は情報機器事業部にいましたので、人より有利になると思ってもちろん転職サイトに登録してはいましたが、それだけだと見落とす情報がまだまだたくさんありました。
やはり、採用する側の人事担当者が普通にあたりまえに転職サイトを活用するようにならないと、当然そうなりますよね。
ハローワークでもパソコンで閲覧できたりしてはいましたが、中のデータはFAXをスキャナで読み込んだPDFだったり。(^^;
というわけで、転職情報誌の薄さは焦り以外の何物でもありませんでした。

最初は、オーディオ業界はどこも厳しいだろうけど電機業界に行ければ、くらいに軽く考えていましたが、電機業界だって同様に厳しく、引き合いがあったのは電話業界くらい。
モデムに携わっていたおかげで工事担任者の資格を持っていたからですが、いずれ携帯電話が主流になると思っていたので断り(行っときゃよかったのに)、さらに長いトンネルにはまってしまい。
あがいてもがいた末にたどり着いた転職先にはちょっとしたオチがありました。
これについてはいずれまた。

あれから20年。

10年に1度の高熱が収まり、休みも取ったので温めていたことを実行に移そう、と思いました。

その、温めていたこと、とは。

こんどは1年前、2020年の話ですが、コロナ禍でのはじめての緊急事態宣言。
政府から民間企業への休業要請があり、私の場合、4月後半に2週間の自宅待機がありました。
多くのご家庭で、部屋が片付いた、という現象が発生しましたが、わが家も同じでした。

その際、かつて勤務していたアイワ関連のモノがたくさん出てきました。
で、こりゃ博物館でも開けそうだな、と思ったわけです。

その時出てきたモノとか、いまも使っているものとか、かつての記憶とか、そんなものをこの場でご紹介できたら、懐かしんでいただける方がいたりして楽しいんじゃなかろうか、と思った次第です。

その思いを、今回、このような形にしてみました。

まだどれをどんな感じで、という具体的なところまで定まっておらず、頭の中で渦を巻いている中から出しやすそうなものを適当に引っ張り出していく予定ですので、全体像がどんな形になるかわかりません。

サイトデザインなどコロコロ変わるかも知れませんがご容赦ください。

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