私がまだ小学生だった頃、1973年か74年ごろの話ですが、愛興電機のラジカセが載ったカラーの印刷物を見たことがあります。
1枚?1ページ?見開き?に、ほか数社もあわせて7台程度のラジカセが載ったものでしたので、メーカーのカタログではなく、販売店のチラシか、雑誌の比較記事または特集記事が考えられます。
とはいえ雑誌だったのか、広告なのか、記事なのか、チラシなのか、定かではありません。
無論型番なんてとてもとても憶えておりません。
でも、よく覚えているのは、その印刷物にはアイワとソニーのラジカセも一緒に載っていたこと。
つまり、1枚の写真の中に6~7台のラジカセが並んだ集合写真で、そのうち3台はソニー、アイワ、愛興電機だった、という消せない記憶があるんです。
こ~んなイメージ。
ソニーのラジカセはおそらくstudio1700(CF-1700)。
ソニーグレーが特徴的なラジカセでした。
翌年2月に発売された誰もが憧れたstudio1980 CF-1980だったら絶対見間違わないですから。
1973年3月発売なので、時期的にも合致しています。
でも、1974年1月発売のstudio1480 CF-1480の可能性もあります。
アイワのは定かではないんですが、時期的なことと見た目の印象から推察すると、TPR-430、かなぁ~。ぽいなぁ~。
でもTPR-430の下に愛興電機って文字が振ってあった可能性もあるしなあ。なんせそこがあやふやなんです。
何より問題なのは小学生の私、ソニーのほうに興味津々だったみたいだし。アイワは2番手だった気がします。
その後、愛興電機とアイワは同じなんだよ~、と誰かから聞きましたので、愛興電機からアイワに変わる過渡期のラジカセだったのかなぁ、などと思っていました。
しかし、いまになってみると、それでは辻褄が合わない。
ラジカセどころか、カセットレコーダーを作った時点で、とっくにアイワに変わっていたわけですから。
でも私が見た1枚のチラシだか記事だかは間違いなく存在したはず。
だってそれを見たからこそ愛興電機の存在を知っていたわけですから。
そのチラシか記事の担当がアイワファンで、どうしても2台載せたくて画策したとか?
もしかしたら愛興電機ではなく、愛甲電機みたいな名前の会社が存在してその時期にラジカセを出してた?
それなら勘違いするかも知れないけど、とにかく見た記憶を消すことはできません。
僕も見たよ~、なんていう方、いらっしゃいませんか?
それ、持ってるよ~、なんて方がおられたら最高なんですが。
2022年2月5日追記:
自己解決です。
その後、アイワ歴史探検隊はオークフリーに掲載されたジャンクなラジカセを発見しました。
AIKO ATPR-401D
やっぱあるんじゃーん!。ほらぁー。あったじゃーん!
しかもなんだかTPR-200シリーズあたりとクリソツじゃん。
型番もATPRとか、完全にTPRを意識しているしぃ~。
カセット蓋の上のカバーがなくなっているけど、アイワにもここがはずせてヘッドクリーニングがしやすい機種があったので似てるなぁ~と。
なんなんだこれは。
中国あたりの模造品なのか?
いやいや、当時の中国にはここまでのモノを作る技術はなかった。
さらにオークファンにもATPR-404Dを発見!
あれ? 私が見た愛興電機のラジカセってこれのような気がする。
こんな感じだった感がびしびし来る!
そして調査を続け、「初期ラジカセの研究室」というサイトにたどり着き、すべての謎が解けました。
アイコーのATPR-406DとATPR-409のページを見ると、アイワの創業者(池尻光夫氏)がアイワ退社後に愛興電機株式会社を再度立ち上げ、新たにオーディオ事業を始めた、ということがわかりました。
だからか。それでか。
終戦の翌年1946年、戦後の混乱が続くさなか産声をあげた愛興電機産業社はほどなく、1948年までには愛興電機株式会社を立ち上げたはずなんですが、そこに触れている文献はほとんどない。
そして、アイワの創立は愛興電機株式会社ではなく、1951年の愛興電機産業株式会社設立を起源としている。
1970年ごろにアイワを退社した池尻氏が愛興電機株式会社をふたたび立ち上げ、ラジカセを作りはじめた。
つまりアイワにとっては真っ向から挑んでくる手の内を知り尽くしたライバルなわけで、なにも応援になるようなことはしたくないはず。
だから愛興電機株式会社は無関係、としたかったのでしょう。
あるいは、池尻氏側が愛興電機株式会社の名は使わないよう要請したのかも。
いずれにせよ、袂を分かつ結果に。
でも、闇市から成長してきた秋葉原の販売店から見れば、戦後の混乱期から苦楽を共にしてきた池尻氏が作った製品です。
取り扱わないはずがない。
それで、私が見た集合写真が出来上がった、ということだと思います。
なるほど腑に落ちました。
ということは、このATPRシリーズを作っている愛興電機は第二次愛興電機として分けて考えたほうがよさそうです。
この第二次愛興電機、けっこう頑張っていたようです。
継続して製品をリリースしています。
TPR-230の雰囲気が漂う2wayスピーカーのラジカセATPR-407や、
アイワとはちょっと異なるテイストの角ばったステレオラジカセATPR-412や、
グライコがついた多機能大型ラジカセATPR-9710や、
これまたグライコがついたWラジカセ。
ファッショナブルスタイルのダブルラジカセが出はじめたのが1980年ごろですので、10年は継続して頑張っていたことがわかります。
ラジカセ以外にもミニコンポやカーステレオ、レシーバー電蓄(Aiko Stereo Music Center)、ヘッドホンステレオまで作っていました。
ミニコンポなんか、けっこうかっこいいです。
1983年、となっていますね。
チューナーがアイワS-R22にかなり似通っています。
OEMか!ってくらいボタンやLEDの位置が同じですね。
もしかして、協力関係にあったのかなぁ?
しかしながら、海外販売が主体であったため、あまりお目にかかることがなかったんですね。
さらに、CDラジカセもありました。
CDラジカセの登場は1986年以降です。
デザイン的には90年代以降のものと推測されます。
でもこれはよく見ると、ロゴが違います。
アイワのようにロゴを変えたのか、別な会社の製品なのか、もはや私にはわかりません。
まぁ、私にとっては波波AIWAのようなものです。
どぉ~でもい~ですよ。
とにかく、アイコーのラジカセはあった。実在した。
小学生の私が見た写真は幻なんかじゃなかった。
それがはっきりしただけで大満足です。
最後に。
私が見た写真には「愛興電機」と文字が振ってあったと思いますが、その後どの時点からか、社名を「アイコー株式会社」に変えているようです。
国内でもそれなりにがんばっていたことが伺えました。
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まぁでも、話は逸れますが、カーステレオの世界は独特で、国内では松下や富士通テンが純正指定、パイオニアやケンウッド、クラリオンが社外指定を受けていて、その他のメーカーの参入障壁がかなり高いんです。
日立や東芝などの大手が手を出していないところからも難しさが伺えるわけですが、とはいえやってみないとわからないよね、ってことでアイワも過去に生産しています。
海外では一定程度成功したようですが、国内では、ね。
アイコーがその気概を引き継いでいたことは素晴らしいと思いますが、結果は未来の私たちが知っているとおりです。
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