ここでは愛興電機株式会社時代のマイクロホンを取り上げつつ、愛興電機の歴史を紐解いていきます。
愛興電機株式会社から愛興電機産業株式会社に社名が変わった翌年くらいから「アイワ」ブランドを使いはじめていますが、それ以前は自社製マイクを「アイコーマイクロホン」と呼んでいました。
ワタクシが得た情報の中で最も古いマイクが「M50」と「M800」です。
M50はラペル型マイク。M800はスタンドマイクです。
1948年には販売していますが、もっと前から売っていた可能性もあります。
ただ、1946~47年の情報がなく、定かではありません。
戦後統制のため、裏情報・闇情報しかなかったようです。
当時の出版事情についても少し調べましたが、まず紙がないところから始まり、用紙配給統制、印刷所の復興、出版配給統制などを経て出版に漕ぎ着けていたようです。
そのためNHK出版の電波科学だけは1947年の出版(といっても32ページしかないペラペラの雑誌でした)を確認していますが、1948年春頃からが、多くの雑誌社の復興元年になっていたようです。
となれば、製造各社が新製品を作っても、新聞紙に掲載されるような大手メーカーの情報くらいしか世間には伝わらなかったのではないかと思われます。
1948年3月に日本放送出版協会(NHKですね)が発刊した、電波科学3月号の表紙をアイコーマイクロホン M800が飾っています。
また、ラペル型マイクM50、スタンドマイクM800、2機種同時に電波科学3月号の裏表紙に広告を出しています。
「愛興電機株式会社 製品発売」と「愛興電機産業社」の文字とともに「M50 超小型ラペルマイクロホン」と「アイコーマイクロホン M800」が確認できました。
この広告により、株式会社化した時期も製品販売をはじめた時期もこの頃であろうと推定されます。
3月号に広告を出したことから、1月ごろには会社をスタートアップさせたと考えられます。
「愛興電機株式會社」発足は1948年1月(推定)
8月には、電波科学8月号 裏表紙に「M850」の広告が出ています。
このM850、愛興電機随一の自信作だったようです。
1950年12月発刊の電波科学まで、2年以上の長きに渡り、ラジオ雑誌各誌に広告を出し続けています。
音がよかったのか、安価だったのか、とにかくたくさん売れて愛興電機の屋台骨を支えたものと推測されます。
今となってはこの広告以外に何の情報もないんですが、のちにアイワブランドでリリースしたM-630と形状が似ていますので、スタンド型金属筐体のカーボンマイクかと思われます。
もうひと機種、M850が好調と思われる1950年1月にM-200を発売しています。
電波科学1月号の表紙に「AIKO スレンダー マイクロホン M-200」と題した広告が掲載されました。
このM-200、ワタクシが所有している最古のアイワグッズということになります。
同じく金属筐体のスリムなカーボンマイクです。
広告を出稿した2機種以外の製品もきっとあったのだろうと思いますが、もはや知る術はなく。
そして翌年の1951年6月20日、愛興電機産業株式会社に社名を変更しています。
愛興電機産業株式会社は1951年6月20日発足
ただ、ひとつ不思議なのは、ここまでの「愛興電機株式会社」による1948~51年の活動については、なぜだかアイワの歴史にはカウントされていないんですよね~なんででしょ。
アイワ株式会社の創立は「愛興電機産業株式会社」が発足した1951年とされています。
実際に私が在籍していた1991年に、創立40周年記念パーティーを開催していましたし、1996年に45周年パーティー、さらにアイワ創立45周年記念モデルとしてHS-PX750を発売しています。
謎です。謎。
この1951年は無線と実験の表紙にDM-1500の広告を載せていますが、 5月~8月号までは「愛興電機株式会社」、 9月号からは「愛興電機産業株式会社」で出しています。
保存状態がよくないので。
他誌の広告のほうが見やすいようです。
社名は6月20日に変わったようですが、当時の雑誌の印刷事情では、出稿から掲載までに2ヶ月ほどタイムラグがあったものと思われます。
DM-1500については1952年3月まで無線と実験に広告を出しています。
そして、1952年3月から5月まではラジオ技術に輸出向けDM-1600の広告を確認しています。
このDM-1600が、AIKOロゴがついた最後の製品になったものと思われます。
7月からはクリスタルマイク M20を販売開始。
このM20の広告から「アイワ」の文字とAIWA丸ロゴを使うようになりました。
「アイワ」ブランドの登場は1952年7月です
というわけで、アイワ製品初号機はクリスタルマイクのM-20、ということになります。
ラジオ技術、追ってラジオと音響、電波科学、無線と実験、などラジオ雑誌各誌にM20広告を掲載して販売に力を注いでいます。
このM20も息の長い商品で、アイワ株式会社となった1959年以降に作成された「AIWA catalogue」にも掲載されています。
また、ラインナップ拡充のためでしょう。直後にカーボンマイク M-630をリリース。
ここまでがアイコーブランドで出そうと考えながら設計したものかと思います。
さらにこの年、アイワブランドでダイナミックマイクの販売を開始しています。DM-1。
それまで無秩序だった型番の付け方が、アイワブランドのダイナミックマイクからはきちんと開発順に付けるようになりました。
ということで、「アイワ」を使いはじめたのが「愛興電機産業株式会社」だから、その設立をアイワの紀元にしよう、ということだったのかな~、と思います。
1953年、電波科学1月号の表紙広告でDM-1、7月号でDM-2を確認。
以降、社名をアイワ株式会社に変更する1959年までに毎年2機種平均をリリースしています。
また、9月に創刊した電波技術の創刊号には表紙にピックアップ C-160を掲載、同時に新製品紹介ページにも掲載されています。
このC-160、確認しうる限りでは、はじめて筆記体ロゴを冠した機種と思われます。
また、マイク以外ではじめて広告を出した製品でもあります。
こうしてアイワブランドの立ち上げを機に、マイク専業メーカーからオーディオメーカーへと生まれ変わり、羽ばたいていくのでした。
1959年10月。
社名をアイワ株式会社に変更し、愛興電機の名はこの時点で一旦終息となりました。
おしまい。
コメント
愛興電気 VM 1000 ヤフオク出品しました。
一度、ご覧ください。
うぶ品で、未整備現状売りです。
ありがとうございます。
珍しいですね。
欲しいですが、値段次第ですね。
つり上がったら無理かなぁ。