アイワ、国産初のステレオカセットテープデッキ TP-1009を発売 記事全文 – 電波新聞1968年3月28日15面

アイワの歴史


国産初のカセットデッキは1968年4月発売のアイワTP-1009です。

TEAC A-20が国産初という誤った情報がインターネット上で散見されますが、それはアイワがソニーに吸収合併され消滅した2002年以降にティアックのwebページ(https://www.teac.co.jp/jp/contents/history-a-20)で誤った情報が発信されたことにより情報操作されたものです。

TEAC A-20は1968年5月10日にホテルニューオータニでの新製品発表会において試作機を展示し発表はされたものの、8月には近日発売のパンフレットを配布、はじめて新発売の広告が打たれたのはラジオ技術12月号でした。(詳しくはこちらの動画で解説しています。)
したがってアイワより8か月も遅く、まったくもって国産初ではありません。

アイワTP-1009は、1968年2月20日~25日に札幌市の北海道新聞社ビルにて開催された北海道オーディオフェアの会場にて動作を実演している様子が公開され、その後3月28日に新聞発表、4月に発売されました。(詳しくはこちらの写真をご覧ください。)
よって、日本で最初のカセットデッキがアイワTP-1009であることは明らかです。

それだけではなく、TEAC A-20が発売される12月までの間、アイワTP-1009はわが国における本格的なカセットデッキの第1号として、各地で開催されたステレオコンサートにおいてカセットの音の良さを聴衆に実際に聴かせることにより、カセットテープの持つ将来性を国民に知らしめるための唯一の先駆者としても活躍、カセットの発展に貢献しました。

ついでながら、TEACにとってはA-20、はじめてのカセット機器ということで開発に苦労して遅れに遅れたのだろうと思いますが、アイワにとってTP-1009は5機種目のカセット機器であり、3機種目のステレオカセットなのです。輸出向けには1965年から生産を開始し翌年には日本初のカセットレコーダーを発売していますので1968年の時点ではすでに4年目に入っています。
年季が違います。満を持しての本格的カセットデッキの製造でした。
したがってアイワのほうがより本格的なカセットデッキなのです。
さらにTP-1009発売後もティアックがA-20を発売する12月までの間にラジカセ・オートチェンジャー・格安テレコなど4機種を追加しています。つまり、TEACがA-20を発売した時点で、アイワのカセット製品は9機種を数える段階にありました。
この経験値の差がラジオ技術12月号紙上での測定結果にも表れていて、アイワのほうが安定走行しており、56年が経過したいまでも正常動作するという品質の差となって表れています。
この辺はぜひ動画でご確認いただければと思います。

以下にアイワTP-1009が発表された当時の新聞記事を証拠資料としてとして掲載いたします。

電波新聞は、電機業界の方々にはお馴染みの、最も電機業界に精通した業界紙です。
その電波新聞の記者が、わが国ではじめてのステレオカセットデッキ、アイワTP-1009を発売、と記しているのです。
だれがこれを覆すことができるものなのでしょうか。とくとご覧ください。

電波新聞 1968年3月28日 15面


電波新聞 1968年3月28日 15面

アイワ ステレオカセットデッキ TP-1009を発売 記事部分切り抜き

アイワ 国産初のステレオカセットデッキ TP-1009を発売 記事全文

カセットステレオ・テープデッキ

アイワが二万円台で

ICカセットテレコも四月から

 アイワ(池尻光夫社長)はかねてから国内販売の準備をすすめていたカセット・ステレオ・テープデッキTP-1009(現金正価二万九千八百円)とICを使ったコンパクト・カセット・テレコTP-726(同三万二千円)の二機種を四月から発売する。
 カセット・ステレオ・テープ・デッキTP-1009はこの種のものではわが国ではじめて発売されるもの。音楽の録音、再生がステレオででき、手持ちのステレオアンプに接続すればホームステレオとして使える。またデザインも側面にウォールナットを使った卓上型オールプッシュボタン式のもので一時停止装置、三ケタのテープカウンター、ヘッドホンジャック付きなどの特徴を備えている。
 カセットテレコのステレオタイプのものは高度な生産技術を要することと、レコ―デッドテープの普及が出遅れているためあまり発売されていないが、同社が昨年七月ステレオ・コンパクトカセットTP-1004(二万九千五百円)を発売していらい、日本コロムビア、クラウンなどから次々と売り出されているが、ステレオデッキタイプのものはTP-1009がはじめて。
 ICカセットTP-726は携帯性にすぐれ、事務連絡事項記録用、対話の記録用などにその機能を発揮する。また録音・再生はリラクタンスマイクで録音・再生はクリスタルイヤホンで聞くほか、アンプに接続しても使える。また電源は四・五Vのアルカリマンガン電池(エバレディー製NO-523、市価八百円)を使っている。
 おもな仕様はつぎのとおり。
 【TP-1009】▽使用石数=一二トランジスター、三ダイオード▽周波数特性=五〇━一万㌟▽プリアンプ出力=一W▽チャンネルセパレーション=三〇db▽電源=一〇〇V▽外形寸法=横二八四×高さ八二×奥行き二五八㍉▽重量=四・一㌔。
 【TP-726】▽使用石数=一IC、三トランジスター、五ダイオード▽巻き戻し時間=一二〇秒以内▽出力レベル=〇・五V▽電源=DC四・五V▽外形寸法=横一五〇×縦九二×厚さ三七㍉▽重量=八百㌘。

原文まま

TP-1009は本格的ではなかったとでもいうのか? 史実を曲げている日本オーディオ協会は間違いを正し反省すべし

一般社団法人 日本オーディオ協会(https://www.jas-audio.or.jp)がwebサイトで公開しているPDFファイル『「テープ録音機物語」 – その63 カセット (1) – あべよしはる』(https://www.jas-audio.or.jp/jas-cms/wp-content/uploads/2012/05/201205-17-28.pdf)の22ページ中に、「1969年に入って、ティアックから写真63-10のようなカセットデッキ(35,000円)が発売され、わが国における本格的なカセットデッキの第1号となった。」という一文があります。

日本のオーディオに関してはそのすべてを把握していなければならないはずの日本オーディオ協会ともあろうものがこのような間違いを放置していることにも憤りを覚えますが、執筆者である阿部美春氏がティアックの関係者であったことを知るにつけ、疑惑を感じざるを得ないところです。

百歩譲ってアイワのTP-1009がまるでおもちゃのような存在であり、とても本格的なカセットデッキの第1号とは呼べないような代物であるというのならそのような記事を書けるのかも知れませんが、私が調べた限りそのようなことはないはずです。
次の記事をご覧ください。

電波新聞 1968年12月19日15面

アイワはティアックより8か月も早く発売したTP-1009を使用し、各地で開催されていた「ステレオコンサート」の会場においてカセットテープの音を一般聴衆に聴いてもらい、カセットテープの音の良さや可能性を広く世間に伝えるべくカセットの第一人者として広報活動をおこなっていました。

それまで主流であったオープンリールテープに比べると圧倒的に小さなカセットテープはおもちゃのような印象を持たれがちであり、オーディオ用途には向かないという先入観を持たれがちです。そのような先入観を払拭すべく、活動していたのです。

電波新聞 1968年12月19日15面 ステレオコンサート記事拡大

この記事では、異色のステレオコンサートが開催され、当時の若者たちに驚きを持って迎えられたことが伝えられています。
アイワはカセットデッキで参戦。TP-1009のカセットテープから流れる音楽が会場に集まった若い観客を魅了、さらには音楽評論家にも認められた、という記事になっています。
この記事はニッポン放送の協賛でアイワカセットコンサートの集いという題名で実施されたものが記事になっているわけですが、TP-1009の雑誌広告でもこのような活動をおこなっていることが記載されていました。

スイングジャーナル 1968年12月号広告

この時代、12月号の広告を入稿したのは10月と推定される。
その時点でラジオ局との協賛以外でもこうした活動が実施されていたことが伺える。

見た目ちっちゃくてそんなにいい音が出そうもないカセットから大ホールを埋めつくすような高音質の音楽が流れてきたら、誰だってびっくりしてカセットが欲しくなる。そして爆発的な普及を迎える、ということになっていったんだと思います。
その普及の足がかりとしてTP-1009が貢献していたということです。
ティアックA-20が遅れている製品化に向けて苦労している間に。
まさにおもちゃなどではなく、カセットデッキの金字塔と言えるのではないでしょうか。

このような史実をないがしろにする日本オーディオ協会、ぜひとも猛省いただきたいと思います。

ティアックの記事を見たい方へ

国産初を偽りTP-1009の偉業を貶(おとし)めたティアックのカセットデッキ A-20についてはさすがに当博物館では取り扱いたくないので、以下をご参照ください。
国産初デッキ アイワ TP-1009 / これが証拠だ! TEAC A-20は国産初なんかじゃない ②雑誌・カタログ調査編 参考資料の画像あり 国産初の証明 – 上行工房
あわせて以下もご覧いただくと理解が深まります。
源流カセットデッキ探訪記 完結編 国産初はこちらだ! AIWA TP-1009が国産初のステレオカセットデッキです! ③電波新聞調査編 参考資料の画像あり – 上行工房

なお、個人的にはティアックは好きなメーカーであり、情報操作をおこなった人物以外まで嫌いになる理由はないと考えております。同時期に発売されたナショナルのカセットデッキとは違い、きちんと性能が出るまで発売しなかった姿勢は評価しています。

コメント

  1. あk より:

    最近aiwa(小文字)製品(PX557)を買って情報を集めているうちにこちらのサイトへ到着しました。日本語情報がないので海外向けの製品なのでしょうか?

    それよりもガム電池の形状がソニーの物と違うのが気になりました。確か当時は各社色々な形状のガム電池作ってたような気がしますが、aiwa製は+-が同じ側にあるという。まだ売っているソニー製品向けのガム電池が流用できません。

    そして専用充電器はなく、カセットプレーヤー本体が充電器を兼ねていて、今手に取ると不思議な製品です。専用充電器がないのはaiwaらしく価格を抑える工夫なのかな、と思った次第。

    • ウエイク より:

      HS-PX557、アメリカとイギリスで販売されていたようで、eBayにはけっこう出品されていますね。
      ガム電池は統一規格のようなものはありませんでしたね。
      というより、電池の薄型化に成功したメーカーだけがポケットに入る薄型のヘッドホンステレオを作れる、という状況でしたので、同じメーカーでも世代ごとにより薄く大容量のガム電池に変わっていきました。
      アイワは充電器は別売でした。ヘビーユーザーは充電器と複数の電池を使ってましたが、ライトユーザーは帰ったらACアダプタにつなげばこと足りていたと思います。

  2. gucci より:

    HS-PX557は、国内モデルHS-PX550の海外バージョンで基本的な性能はおなじです。充電バッテリーはPB-S5と,名称の頭文字PBが示すようにPb(鉛)蓄電池でこれは車のバッテリーと同じで、その1セルあたりの電圧は満充電時約2.2Vで終止電圧が約1.8Vとなり、実はこの終止電圧が乾電池2本直列に接続したときの電圧とほぼ同じになります。
    これは大きな利点で、鉛蓄電池と乾電池2本のときの回路設計は全く同じにできることになります。もう一点は他社がNi-MHバッテリーで電源電圧約1.2Vに対して高い電圧なのでヘッドホン出力は歪みが少なく余裕のある音量となっています。

    • ウエイク より:

      gucciさん、こんにちは。
      電池の詳しい解説ありがとうございます!
      そうでしたね。私も当時は電圧の高いアイワに優位性を感じていましたが、もうすっかり忘れてました。
      PB-S5は最終型でかなり薄いですが、モーターの性能向上と相まってかなり満足のいく持続時間でしたね。
      ワイシャツのポケットに入れても走れるくらい軽かったので、50cmくらいの短いイヤホンに変えて使ってました。
      手元(胸元)で操作できるのでワイヤードリモコンもいらないですし。

  3. ADMS より:

    初めて拝見しました。懐かしいですね。
    元社員で、カセットデッキの開発をしており、ADMSの発明者です。輸出機のみだった、AD-3300が担当開発の一号機でもあり、アイワのドルビーCの一号機でもあり、アメリカで技術賞を取りました。またWデッキの一号機も手がけたことがきっかけとなり、複雑なWデッキの開発が多く回ってきました。安いコンポのWデッキでは、C-Mosの論理回路で周りを驚かせたこともありました。オーディオマニアでしたので、本当は高級機をやりたかったのですが、最後には他の機種を担当しながらもFF-70,90の開発を買って出て、回路、基板開発に携わり、納得できる製品となったことが、技術者としての喜びです。
    当時はアイススケートの音楽を鳴らすのも、カセットデッキが使われており、そのためにクオーツロックやトランス出力などの改造なども関わることができました。

    • ウエイク より:

      コメントいただいていることに気づくのが遅くなりました。
      ADMS、便利でしたよね。TDKのカセット型消磁器を便利だと喜んで使っていましたが、その上を行ってました。
      電源入れるだけというのは画期的でした。

      それより、
      Wikipediaなどでは日本初のドルビーC搭載機はAD-FF3/FF5とされていますが、輸出向けとはいえそれよりもAD-3300のほうが早かったのでしょうか。
      だとしたら、それはぜひ世間に知ってもらいたいところです。
      何か発売日や生産開始などがわかる証拠になるような資料などはお持ちでしょうか?

      ミニコンポではWカセットが完全に主流でしたね。
      ダビングにしてもプレーヤーやチューナーとのシンクロにしても実によく考えられていて、シンプル操作で使い勝手がよかったことがシェアを大きく取れた要因ではなかったかと思います。
      すばらしい技術者がいたことがこの時期のアイワの好調を支えていたことは間違いありません。

  4. ADMS より:

    head 消磁器は、学生時代にSony製のを使用していましたが、ボタンを押しながらゆっくりと遠ざけていく、という使い方が非常に不安定なのと、下手をすると逆に帯磁させてしまうリスクがある上、ちゃんと消磁できたのかどうかもわからないものでした。
    TDKのカセット型は画期的でしたが、ロジック操作のデッキで、ヘッドが瞬間的に上がるものだと、その衝撃が気になり、手押しのメカのデッキでしか使っていませんでした。
    しかし、手押しのメカの機種は、大体2ヘッド構成なので、録音を全くしない場合は別として、
    バイアスが少し消磁作用となっています。ロジック操作のものは高級機で、3ヘッド構成もあり、再生ヘッドは帯磁し易いのですが、TDKのは、衝撃の懸念があるので、痛し痒しでした。
    カセットデッキの開発者である以上に、カセットデッキの超マニアでしたので、欲しい機能、求める性能を何としてでも実現したい気持ちから、ADMSが生まれました。
    入社後、AD-L5Mの開発を手伝いから始めて、後継機のL6Mを開発していましたが、計画がボツになり、その裸状態のデッキを使って、ADMSの検討を始めました。そして、完成時期は、開発中のAD-F600の量産試作中でしたが、上層部の鶴の一声で、ADMSとDolby-HXの機能を追加しろ、とのことで急遽、搭載となったのです。ADMSという呼称は、当時の鴨居常務が付けてくださったものです。ウオークマンの鹿井さんではなく、鴨居さんです。
    AD-F600の後、aiwa初のドルビーC搭載機、AD-3300の開発担当を任されました。同時期にもう一機種、ドルビーC搭載機がありました。それがFF3だと思います。Dolby Cの回路部分は一緒に検討していた記憶です。
    発売日は、日本とアメリカということもあり、どちらが先かは不明です。
    AD-3300は、アメリカで、デザイン&エンジニアリング賞を受賞しているので、何かしら情報があるかも知れません。
    長くなりましたので、この辺で、と言いつつ、もう一言。
    aiwa初のWデッキも担当しました。これのおかげで、それ以降、Wデッキのややこしい機種ばかり回ってきて、高級機は、自ら開発を買って出た、FF-90 FF-70のメイン基板の開発をしました。音質、性能は、回路もそうですが、プリント基板の設計が支配的なのです。

    • ウエイク より:

      TDKのカセット型消磁器は飛びつくように買いました。
      素晴らしいアイデアでしたね。
      衝撃には考えが及びませんでした。
      AD-3300とFF3/5はほとんど同期ということですね。
      FF70あたりから基板上の配線がぐっと減って、サービス性もよくなりました。基板の多層化が進んだ時期でもありましたね。サービス性以上に空中配線が減ることによるノイズの低減は効果絶大だったのではないかと思います。

  5. ADMS より:

    12/23付けのコメントは、10/17付けのコメントと重複している内容で長文化してしまい、失礼いたしました。

    FF90の頃は、まだ片面基板でしたね。
    基板内ジャンパーワイヤーはもちろん、とにかくワイヤーを減らせとの強い指示の結果です。

    AD-F80に憧れてこの会社を志望したので、配属後すぐに購入しました。
    ちょうど、メタルテープ対応キットで、メタル対応にグレードアップし、F90M相当になりるというものです。CrO2のポジションで、VUメーターOFFスイッチを押すと、メタルポジションになりました。ワイヤレスリモコンは、非対応でしたが。

    設計者として、2年くらい経って技術が身についた頃だったと思いますが、F80の気に入らない部分の改造に着手しました。

    ①REC MUTE を掛ける時に、僅かにポコッというノイズが付着してしまう。
    ②PLAYからFFを押すと、CUW になってしまう。(REWも同様)
    ③PAUSEでヘッドがSTOP位置まで、落ちてしまう。

    ①を検討することで、その後の製品に生かされ、どんな動作移行でも全くノイズを出さない、MUTE回路の達人とまでになりました。特にWデッキでは、非常に複雑なMUTE回路が必要でした。
    ②は、F80はトランジスタを100個ほど使ったロジック回路で動作していましたが、その回路を改造し、仕様変更して使い易くなりました。

    *PLAYからFF(REW)を押すと、ダイレクトにFF(REW)となる。
    *PLAYから、CUE(REV)にするには、PLAY ボタンを押しながらFF(REW)を押している間だけ、CUE(REV)になる。
    *PAUSE では、CUE(REV)のヘッド位置にする。(ヘッドとテープは接触したままにする)

    後に手に入れた、F90Mの輸出版、AD-6900Ⅱは、マイコンになっていましたが、外付けのロジックでマイコンをだまし、同じ動作を実現させました。

    F80に関しては、まだまだ改造した部分がありますが、次回にします。

    • ウエイク より:

      私もです。AD-F80はオーディオ小僧の人生を変えましたね。
      2年間メタル化対応サービスは素敵でした。
      フラッグシップ機だけに根強いファンが多かったでしょうからいい施策だったと思います。当時は持ってない私から見てもいいメーカーだと思いましたし。
      ③、そうでしたそうでした!
      F40しか買えなかった私はその点だけは勝ってるぞと自分を納得させてました。
      メカ側はCUE/REVIEWのヘッド位置を用意している。ならPAUSEでもその位置にして欲しい、と考えたユーザーは一定数いたでしょうね。私もサービスマニュアルをいつでも見られる立場にいましたので現役当時所有できていたらやっていたかも知れません。
      F80の改造話、ほかにもあるんですね。楽しみです。

  6. ADMS より:

    F40は手押しメカでしたので、PAUSE時には、ヘッドは全く動かずにピンチローラーだけが離れるタイプだったと思います。ヘッドがCUE(REV)の位置まで下がるのと、どちらが良いかは、メカの出来に依るもので、繋ぎ部分の善し悪し次第です。ピンチローラが瞬間的に動くものは、その瞬間回転数が下がり、再生するとピュッという音が付着してしまうし、手押しメカでは、PAUSEのリリースがゆっくりになると、巻き上げリールが先に引っ張ってテープ速度が上がってしまい、逆に低い音が付着したりするので、無音繋ぎでない場合は、ここの精度は非常にクリティカルです。

    さて、F80やF90(6900Ⅱ)のメカは、ヘッドを持ち上げるために、ストロークの長い巨大ソレノイドを用いていたので、ヘッドが上がる時は、大きな音と振動がありました。夜遅くにデッキを操作していると五月蠅いのです。そこで、ソレノイドに流す電流を上手く制御することで、静かな音を実現し、上品で高級感を得ました。もちろん外付けハード回路での改造です。
    衝撃も減って、ヘッドのアジマスずれも生じにくくなりましたが、定期的にチェックして、アジマスの管理も怠りませんでした。

    3ヘッドでモニターを切り替えると、どうしても音が少し変化するのが分かります。BIASの調整だけでは、その差を埋めることはできず、元々設けられている中高域の録音EQを外から調整出来るように、シャーシの底板をくり抜き、半固定抵抗を各テープ毎に2個(全16個)用意して、F80をラックから少し前に引き出すと、下をからドライバーで調整出来るようにしました。その結果、MONITOR SWのSOURCEとTAPEを切り替えても、差が分からないほどに追い込めるようになりました。これはさすがに改造が大変なので、F80のみで、6900Ⅱはやりませんでした。

    ヘッドアンプを含め、各回路の電源回路の強化と配線(パターンの経路変更)をして、これ以上の再生音はないほどの音を追い求めました。しかし電源強化のため、電源を入れてから、30秒は待たされます。READY MODE として操作を禁止し、PLAY の緑LEDを点滅させました。パワーアンプ並です。
    ローカル回路のコンデンサーが6800uFもあるので、仕方ありません。普通は、大きくても220uくらいです。時定数で決まるカットオフ周波数の1/10、10倍の周波数で、音に影響があり、1/100、100倍にすることで改善効果があります。理論的にも、位相は変化し始めるからです。

    つづく

    • ウエイク より:

      F40のPAUSEボタンはものすごく軽いタッチかつ俊敏なので超お気に入りでした。繋ぎ取りしても回転ムラはまず感じないレベルでした。それを利用して高校の卒業記念テープを作った楽しい思い出があります。いまはデジタルで簡単に音を切り貼りできますが、当時アナログでオープンリールのカット繋ぎより正確かつ楽に繋げられていました。
      Tリールもミュートも絶妙にシャープに立ち上がっていたはずです。まさに自慢のデッキでしたし、それがアイワへの強い信頼感に繋がっていました。

      ソレノイドへの電流のかけ方を変えたのですか。それはすごい! さらにイコライザー調整機能やヘッドアンプ強化。
      AD-F80 LIMITED って感じですね。
      198,000円で製品化してもいいような。

  7. ADMS より:

    昨日送信した、またもや長文の「F80改造記」 は何かの不具合で消えてしまった?

    • ウエイク より:

      承認しないと表示されないんです。
      本業が忙しいと放置していることが多くなるので、見てない間にスパムなどで荒れないようにそうしています。

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