アイワ初代ラジカセ、TPR-101。

ラジオカセット


さて、今回はアイワ初のラジカセ、TPR-101です。
語りたいことが多過ぎて時間がかかりました。

国産初のラジカセ?

巷では、国産初のラジカセというと、長きに渡り、このTPR-101が取り上げられてきました。

しかし調べていくと、どうやらそれは間違いで、松下電器のRQ-231が世界初のラジカセだという見解が最近の主流となっています。

TPR-101:1968年3月発売
RQ-231:1967年12月発売

ですが、それも間違っています。

国産初はクラウン CRC-9100F

なぜならば、クラウン マイカセットF CRC-9100Fがそれよりも早い9月に発売されているからです。

CRC-9100F:1967年9月発売

発表だけ先行して、発売は遅かったようだ、などという心ない意見もあるようですが、アイワ同様、「死人に口なし」「欠席裁判」だと思いますよ。助太刀したくなります。

ここに証拠品の提出をいたします。

1967年9月発売の成人男性向け雑誌「週刊F6セブン」9月23日号(昭和42年38号)旺文社

当時の喫茶店などによく置いてあった男向けのエロ話ばっかりの雑誌ですが、この裏表紙にクラウンのラジカセがででかでかと広告掲載されています。

しかも裏表紙ばかりではなく、本文中にも登場しています。
雑誌の真ん中、中綴じ部分が表紙のパツ金ねーちゃんのワーオ!って内容のグラビアになっていて、その次のページから4ページ分、半ば広告のようなクラウン製品の紹介ページに割かれています。

クラウンが撮影用に機材を提供したイメージ広告に見受けられますが、製品として製造された証でもあります。

余談ですがグラビアの前4ページ分はトヨタクラウンの紹介ページ。編集長のいたづらなのか、クラウン尽くしの様相です。

これだけ大々的に「新発売」って広告打って発表だけだった、なんてことはあり得ません。

ですので、国産初のラジカセは、
クラウン マイカセットF CRC-9100F
で決まりです。

松下電器RQ-231が最初ではありませんよ。

ではなぜ、大衆紙ならともかく事情に明るいラジオ雑誌などのメディアにアイワのTPR-101が国産初のラジカセ、として取り上げられてきたのでしょう?

いや実際、wikipediaにも書かれているように、
3バンド(FM/AM/SW)受信対応としては日本初のラジオカセットレコーダー
であることは間違いのないところです。

でもそういうことではないのではないか。
歴史的事項を踏まえながら考察を深めていきたいと思います。

TPR-101とRQ-231、2機種の違いについては、今更ワタクシが書くまでもなくビデオ工房トパーズさんのサイトで実に詳細に比較されています。
ボタン操作の動画までついていて、使い勝手が手に取るようにわかります。
こちらを見ていただければ一目瞭然、その後のラジカセ像はTPR-101を元に形成されていったことをうかがい知ることができます。

デ・ファクト・スタンダード

デ・ファクト・スタンダード(de facto standard):事実上の標準、という言葉がありますが、まさにこれです。

RQ-231の操作ボタンだと、録音しようと思ったら、RECボタンを右手親指で押し(ひっくり返さないように安定して押すためにはハンドルや裏面に指を回して掴み)ながら、左手の指でPLAYレバーを引き下げる必要があり、片手では操作が困難、、まぁ無理です。

平置き型テープレコーダー(RQ-3001ひいてはフィリップスEL3300)用のメカを単純に流用したためにこうなってしまったのでしょう。

ラジカセって、こういう形でしたっけ?

しかもバンド切り替えスイッチが裏にあったりボリュームつまみやイジェクトレバーが横にあったりして、操作性はかなり悪いと言わざるを得ない。クラウンに先行された焦りなのか付け焼き刃の急ごしらえ感がありありとしています。

クラウン CRC-9100Fは横置き型でピアノタッチ式の操作ボタンですので、RQ-231よりは操作しやすいと思いますが、録音と停止のボタンが独特な配列で同時押ししやすいとは言えず、オープンリールレコーダーのような前時代的な形状であるとも言えます。

オープンリール時代には誤消去防止の概念がなかったので、うっかり操作で大事なテープを消さないように簡単には録音開始できないようなボタン配列が一般的でした。でも誤消去防止ツメがついているカセットテープなんですからもう少し簡単な操作で使えるようにしてもよかったわけで。

そのほかのスイッチ類は横置きの形状にあわせて綺麗にまとめられていますので、RQ-231よりは操作しやすいと思いますが、横置きなだけにフットプリントが大きく、置き場所には気を遣う必要があります。

ラジカセって、こういう形でしたっけ?

対してアイワのTPR-101は右手でも、左手でも、都合のいい方の手で操作できます。

空いた手でカセットテープを探るもよし、ラジオのチューニングをするもよし、なのです。
ちゃんと使う時のことを考えて自社でカセットメカニズムが作られています。

このプッシュボタン式のカセットメカニズムこそ、その後のラジカセのスタイルを決定づけた、金字塔に値する構造上の特徴であると言えるでしょう。

ラジカセって、こういう形、ですよね?

いわゆるマン・マシン・インターフェース

アイワの製品はこのような言葉がなかった頃から、使い勝手を重視した設計を心がけていた、ということが伺えます。

TPR-101は売れた

さらにTPR-101はカセットメカ以外の機能にも見るべきものがあります。

  • ラジオは短波が聴ける3バンド。(RQ-231、CRC-9100FはFM/AM)
  • 天面のプッシュボタンで容易にラジオのバント選択ができる。(RQ-231は裏面、CRC-9100Fは前面ではあるものの、いづれもスライドスイッチ)
  • ロッドアンテナは本体内に収納できるテレスコピック型。
  • EJECTボタンを押すとテープがポップアップしてきて取り出しやすい。
  • ボリュームやトーンが見やすい位置に並んでいる。(RQ-231は側面、CRC-9100Fは両端に別れている)

おまけにこっちのほうが安い!
(これが一番重要かも)

TPR-101:27,500円(現金正価25,900円)
RQ-231:38,700円(現金正価35,800円)
CRC-9100F:30,000円(現金正価28,000円)

1968年の大卒初任給平均は29,100円だそうです。
をを、アイワなら買える!

量販店の店員さんだって、、じゃなくったってこっちをお勧めするでしょう。

さらにもうひとつ、歴史を紐解く手がかりがあります。

電波科学 テープレコーダーのすべて

私の手元に「電波科学 1968-1 臨時増刊 テープレコーダーのすべて」という書籍があります。

日本放送出版協会(NHK出版)が、当時販売されていたテープレコーダーを「すべて」まとめた本です。(当時はまだ数えられるレベルの製品数でした。)
ただの上っ面な製品紹介ではなく、内部写真や回路図、選び方からテープレコーダーの原理、活用法、ミュージックテープまでまとめられた、厚さ2cmほどある当時のテレコのバイブルと言っていい気合の入った内容となっています。

この本に、クラウンCRC-9100Fも掲載されています。

しかしながら、前年12月にすでに発売されたはずの松下電器RQ-231は載っていません。

これは、なんなのか。

NHKの怠慢なのか。
いや、この本の気合の入り方を見る限り、それは考えられない。
ナショナルだけでも6機種の回路図と内部写真が掲載されています。
その中にはRQ-231と同じメカを搭載したRQ-3001も含まれています。


ちなみにアイワはTP-707P、TP-713、TP-716の3機種が載っています。

国営放送であるNHKの性格上、特定のメーカーに肩入れするような真似はできないので、この本の出版にあたっては当時テープレコーダーを販売していたメーカーに広くあまねく声をかけているはずです。
ただ、実際にはしょーもない取るに足らない信頼度がかなり低い量産できるのかもわからないメーカーまでは載せたくないはず。
そこで、回路図と内部写真の提出・審査を掲載の条件とし、ふるいにかけた可能性が高い。

クラウンはきちんと資料を提出した。
大々的に広告を打ち、すでに販売しているわけですから当然といえば当然です。

ところが、RQ-231の資料は提出されなかった。
メーカーの立場からすれば、権威あるNHKの書籍に新製品の記事、ぜひとも載せたいはずなのに。松下電器が載せて欲しいと言えば載せただろうに。

まぁただ単に締め切りに間に合わなかっただけかも知れませんが。
でも、12月発売なら遅くとも10月には試作品ができていて、回路もほぼ確定するでしょうから、間に合わせる気があるならできたはずなんですけどね。

RQ-231はメカがフィリップス頼み

その伏線として、フィリップスが作るカセットメカが不足して生産ができなかったのではないかとも考えられます。しかも高額なためなかなか人気の出ない国内より、当時の最大市場である米国のほうが売れると踏んででしょう、国内より優先してパナソニックブランドで輸出していましたので、そちらからの突き上げに追われていたのではないでしょうか。

フィリップスのメカは、アイワでもTP-734やTP-739, TP-749で採用していますし、ほかのメーカーでも採用しています。カセットを作る以上フィリップスとは仲良くしておきたいですからね。
となればカセット人気が沸騰してくるに連れて、自由なお国柄で知られるオランダ人気質のメーカーが作るメカが足りなくなることは想像に難くありません。
当時の日本なら、月月火水木金金、三勤交代フル稼働で生産したでしょうが。

モノが作れないのに雑誌に記事が載れば、問い合わせばかりが増えてしまい、自分の首を絞めることになりますから。
RQ-3001はもっと前に発売しているので、さすがに載せないわけにもいかなかった、と。

結局、国内市場に出回った時期はアイワと大差なかった。
ともすると遅かったのかも知れません。

しかもやっと市場に現れはしたもののなんだか高くて使い勝手も悪いとなれば、果たしてどれほど出回ったのか甚だ疑問です。

一方、TPR-101は自社開発のメカですから、どんどん生産できる。むしろ1964年以降はマイクからカセットに軸足を移しているので作る気満々です。やがて海外、特に中東でも人気が出てくるとさらに生産量を増やし、頻繁なモデルチェンジを嫌うお国柄も相まってロングセラーとなっています。

令和の今、ヤフオクを見ていてもRQ-231やCRC-9100Fはまぁ出てきませんが、TPR-101は54年が経過した2022年時点でも時折出品されています。桁違いに売れたと見ていいでしょう。

結果的に、安くて使い勝手がいいアイワにすっかり人気を奪われてしまった。
これについては間違いのないところでしょう。

ネットで調べればすぐに情報が出てくる現在なら、売れてようがなかろうが早いものは早い、となったでしょうけど、時代は紙媒体や口コミが中心の昭和中期です。

売れないものは忘れ去られ、たくさん売れたほうが、人気を呼んだほうが、スタンダードになるのは当然ではないでしょうか。

やっぱりラジカセの原型はTPR-101にあり

後続メーカーだって当然使いやすい売れ筋のほうを真似して設計します。
結果、同じようなレイアウトのいわゆるラジカセスタイルが定着したということだったのだろう、と読み解きました。

逆にみれば、RQ-231やCRC-9100Fは機能的にはラジオとカセットがくっついてはいますが、

形がラジカセじゃないよね

ということなのではないでしょうか?

過去販売されたあまたあるラジカセの中で最も人気を博し一世を風靡したザ・ラジカセとも言うべきあのStudio1980(SONY CF-1980 当時小学生のワタクシも憧れました)だって、TPR-101のデザインが先に存在したからこそ生まれることができた、と言えるでしょう。

あらためて、使い勝手を考慮したカセットメカをラジカセのために新開発した当時の技術者に拍手を送りたい。です。
よくぞ作りました。

独自開発の結果、発売が少しだけ遅れたのかも知れないけど、断然いいものですよ。
本当に、よくぞ作りました。

発売年月だけでは語れない事柄も踏まえて考えてみてはいかがでしょうか。

事件は会議室で起きてるんじゃない、んですから。

年月だけで語りたいんなら、今後はクラウンでお願いしますね。

考察以上。

ということで改めて、ラジカセの原型となったTPR-101を見ていきましょう。

TPR-101の特長

先ほども書きましたが、2022年になってもちょっとだけ辛抱強く探せばやがて手に入れることができる程度には流通しています。

そして、シンプルな設計が功を奏し、メンテナンスしてあげると動作する可能性も高い。

オートストップ機構やポーズボタン、テープカウンターがまだ存在していないところが、初期のラジカセであることを物語っています。

早送り/巻き戻しボタンがロックしないところはフィリップスのレバー式と同じにわざわざ合わせてしまったのかな。
オープンリールでもボタンロックはできていましたからね。

一方、この頃あったイジェクトポップアップ機構はその後なくなりました。

ここまで飛び出してくれると取り出しやすくてありがたいと思うんですが、差し込むときの手間がありますからね。

急いで録音しなきゃってときにはシンプルなほうが助かるということでなくなったのでしょう。

音量ボリュームつまみ(VOLUME)は左に絞り切ると電源スイッチが切れるようになっています。
録音時にはこのつまみが録音ボリュームに変わります。
すぐ上にレベルメーターがついているので、簡単に調節できます。

ただし、マイク録音時にはAVCが働き、音割れしないレベルに自動調整してくれます。
失敗しないようにしてくれる親心というか、優しいんですよ、なにかと。このころは。

返すがえすも初モノとは思えないほど、いろんなことがよく考えられています。

音質つまみ(TONE)は左に絞り切るとビート切り替えスイッチが働きます。録音中はトーン調整は無効になります。

録音中の音量は左サイドのモニタースイッチで切り替えます。

101 JAPANの刻印は、当時千代田区外神田に本社があったことを物語っています。
若い人はご存知ないと思いますが、当時の郵便番号は3けたでした。

入力出力端子。
上からREMOTE、MIC、AUX、EXT SP。

この時点でAUXを装備しているところも、ラジカセの拡張性を考えた、今後の手本となる設計だと思います。

以上、ニッポンのラジカセのお手本となった、TPR-101のレポートでした。

コメント

  1. 中村 雅哉 より:

    はじめまして、topazです。
    ホームページを紹介していただきどうもありがとうございます。
    なかなか元社員の方の話は聞けませんので参考になります。
    アイワ博物館は、まだ見始めたばかりなのでこれから順番に拝見いたします。
    今後ともよろしくお願いいたします。

    • ちば より:

      コメントありがとうございます。
      最近オーバーワークで、コメントに気づくのが遅くなりました。
      こちらこそトパーズさんのサイトは何かと役立たさせていただいており、感謝しております。
      よろしくお願いいたします。

タイトルとURLをコピーしました